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大切な人ががんになったとき【後篇】

前回の緩和ケアセンター長の書かれた記事の続きです。

 

傾聴と事情聴取

 つらい状況にある方に対して、「傾聴」が大切と言われます。

でも、実際多いのは、「どうだったの、どうして見つかったの、いつからだったの」という、傾聴ではなく、あなたの興味本位の情報収集のための質問。

「みんなに話して良いのよ、話したら楽になるから」

これでは、犯人への尋問です。

「なぜ、もっと早く病院に連れてゆかなかったの」「こういう心遣いが間違ってる」「〇〇したから良くなかったのよ」というのは、日ごろ離れている人が、自分がそばにいなかったこと、関われなかったことへの自責・後悔の裏返しで、近くにいる家族を責めてしまうこともあります。

 

話したいときに話したい相手に

 

逆に「もう、こんなになったら死んだ方がましだわ」「私、死ぬんじゃないかしら」と言われると、「そんなことないって」と、必死で否定してしまいがち。

本人の口から「死」という言葉を聞くと、みな動揺しますね。

本心全部、死にたいんじゃない、けど、死んでしまった方が楽かしら、とか、死んでしまいたいくらいよ、って言いたくもなるじゃないですか。

ただ、横で「うんうん」と聴いてくれるだけで、言うだけ言ったら落ち着いてくるのに、出させてくれない、蓋をされてしまうのは、聴く側がつらいからです。

 

アドバイスも何も要らない。

ただ口に出したときに、遮らずに聴いてくれる人が、必要なとき、そばにいることの大切さ。

その相手として、あなたが選ばれているということが大切なのです。

 

くじけそうな気持ち、泣きたいとき、愚痴をこぼしたいとき、聴いてもらう人を選んで、やっと心の内を打ち明けるのに、「そんな泣き言、言ってちゃダメ」「あなたが頑張らないと」と、励ましてしまうひと。

何かアドバイスしたり、励ましたりしてあげたくなってしまうものなんですよね、そこを抑えてください。

 

「役に立ちたいから何でも言って」

 

ありがたい申し出ですが、人に何かを頼むということは、それが一人で出来ない自分を認めざるを得ないということでもあります。

がん、は喪失体験の積み重ねでもあります。

手術で身体の一部を失い、化学療法で髪の毛を失い、職場のポストを失い、健康を失い、将来を失い、さらに現実に自分の出来ることが一つ一つ、失われて行く。

何か頼む相手への配慮だけでなく、「出来ない自分」を認めることへの葛藤がある、そのことにも、心を寄せてください。

 

誰かの力になりたい、誰かを支えたいと思うとき、「私が何かしたい」という気持ちの奥には「私のつらさ」があります。

その人の役に立ちたい、その人が苦しむのを見ていられない、その人を失いたくない。

私が安心したい。

 

「私」のつらさのあまりに、本人や家族の意向を確かめて、思いを尊重することなく「私」の意見や価値観の押しつけであったり、自分なりのやりかたであれもこれもと、過剰に援助してしまう。援助のつもりが、自分のやり方の押しつけになっていることがあります。

「私」が主語になっていませんか?

 

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